聖書は古典文学の一つです。古典文学は時代や社会状況を超えて魅力あるものです。勝手に自分の思いを持ち込んで読むことに誰も文句は言えません。けれども少しもったいないとも言えます。

新約聖書は書いた主体も書かれた状況も異なる30近い文書が後の教会によって「聖典」として時間をかけて編纂されたものです。論文や教義や思想なら普遍的に妥当性を追えばよいわけですし、そうした文書もないことはなく、特に聖典として読まれる場合は特にそうした観点から読まれてきたわけです。しかしそれぞれの文書が書かれた事情を知ったほうがより理解が深まると思います。

新約聖書の前半部は歴史物語であり、後半部は手紙です。歴史は単なる史実の記述ではなく、ある集団の自己理解の反映です。後半は主として実用の手紙でした。したがって手紙を書く事情、書き手と受け手の関係やそこで起こっている問題を知っていたほうがよいわけです。ともかくローマ帝国が支配していた地中海世界に天動説を前提にした三層の世界観を共有していたヘレニズム時代のユダヤ人社会は二千年前のものです。各文書は変化しつつあるそれぞれの社会関係の中で成立したものです。
そうした背景を知ることからよりよく聖書に聴くことができると考えます。