聖書の歴史的批評的検討は、伝承の展開――積極的には発展、消極的には退歩・平盤化――の歴史として、聖書諸文書とそれが持つ諸伝承を時間的経過を通して追っています。その際、伝 承の変化を一つの時間軸の上に並べ、その背後に一つの法則 を見出そうとします。そしてその法則は価値的であります。しかし、伝承を生み出し、受け取り、伝えていく教会の状況は、その変化を時間軸でだけ捉えることはできません。社会的状況 という空間軸を無視することができないのです。

文学社会学的方法は、このような歴史的批評的方法の持つ欠陥に着目し、一つの文学が生み出され、機能し、影響を与える社会とその文学との相関関係として、聖書諸文書を読もうとしているのです。

神学者ゲルト・タイセン(Gerd Theiszen 左写真)は、この(文学)社会学的方法を原始キリス ト教の成立に対して適用して『イエス運動の社会学原始キ リスト教成立史によせて』(荒井献・渡辺康麿訳、ヨルダン社、 1981年)を著わしました。彼は、イエス運動を分析する際に、 宗教社会学的理論である葛藤および統合理論を援用しています。

まずここで、この理論について私なりにピーター・L・バー ガー(薗田稔訳『聖なる天蓋――神聖世界の社会学』、新曜社、1979年)の助けを借りて解説しておきましょう。

彼は社会を「一種 の弁証法的現象」であるとしています。つまり「社会は人間の所産 であり、人間の所産以外の何ものでもないのだが、しかも社 会は、たえず造る者に働き返す」わけで、この弁証法的過程 を「外在化」「客体化」「内在化」として捉えています。

ところで 宗教は、この「人間の自己外在化の極致」として「宇宙全体を人間的に意味ある存在として想念する大胆な試み」なのです。一方で、この社会的世界は不安定であり、つねに「正当化」されねばならず、他方で、宗教は「正当化の手段」として社会の秩序を維持し、特に「日常生活の現実が疑わしくなるような境界状況そのものを、あるひとつの包括的な規範 秩序のなかに統合する」役割を果たすのです。この役割を 果たすために、宗教は「適切な信憑(性)構造」(その社会的 世界に意味的に住むことを可能にする「もっともらしい」世界観、「妥当性構造」とも訳される)を維持しなければなりません。これが宗教の統合理論なのです。

しかし同時に宗教は、信憑性の喪失に伴う「信憑構造間の 移住」を可能にしています。葛藤理論は、この「移住」を可能ならしめる帰属と疎外の緊張として捉えることができます。

移行する者は、「自分が捨て去った過去の宗教的現実の信憑構造を構築して いる人たちや集団から自分を切り離して、その代わりにいっ そう彼の新しい現実を支える役に立つ人びとと親密に、そし て(できれば)排他的に交流しなければならない」 G ・タイセンは、この葛藤理論をイエス運動にあてはめます。

イエス運動は、紀元1世紀のローマ帝国の属領であった パレスチナのユダヤ人社会における、ヘレニズム化とユダヤ 教の規範強化、神権政治と貴族政治、中央エルサレムの保守 性と地方住民の急進性、富の不均衡といった諸々の緊張要因 の中での「社会的根こぎ」の影響下に「巡回霊能者」とその 「地域教団の支持者」の相関関係によって成立したと主張します。「巡回霊能者たち」は、説教と奇跡行為をもって「平和 主義的に」「愛」と「和解」のヴィジョンを与えました。しかし 彼らの運動は、ユダヤ教内部の革新運動としては必ずしも成 功せず、むしろヘレニズム社会において統合理論として機能 しました。

しかしイエス運動のヴィジョンは、そこでは後退してしまったと考えます。G ・タイセンの明晰な分析と今日の教会 に対する鋭い批判眼、さらにその主張に対する批判について は、ここで詳細に紹介することはできないので、前掲の訳書 と訳者解説によって知っていただきたいと思います。

ここでは、イエス運動の初 期において最も鮮明に出ていた「愛と和解のヴィジョン」が、ヘレニズム世界のキリスト教において後退したという、彼の価値的判断とその葛藤・統合理論の図式的適用について批判 的に触れておきたいと思います。(つづく)